B級街案内シリーズ 番外
京都論





  皆さんは、京都というとどのような街をイメージするでしょうか。

八坂神社   修学旅行や観光で京都を訪れた方の多くは、有名寺院や史跡を訪れます。そして、京都というと、古い寺院や町家が数多く残る街並を思い起こす方が多いのではないでしょうか。実際に、かつての都であった京都には有名寺院や史跡が他の街に比べて数多く存在しますし、京都を舞台としたTVドラマでも多くはそういう街並が映し出されています。


  確かに、京都にはそういう古い街並は存在しますし、他の街との比較の上で、それが京都の特徴といえるのかも知れません。寺院の周辺や祇園のみならず、古い街並が残っているエリアは京都市内にかなりあり、繁華街の細い路地を少し入ったところに突如として古い街並が顔を出すことがあります。そんな風景を見て、京都らしい街並だと思う人も多いことでしょう。


  しかし、いわゆる「京都らしい」街並というのは、京都全体の面積からすればごく一部にすぎません。景観条例によって建物の高さや看板の配色などに制限はありますが、市内には他の街と同様、ファーストフード店やコンビニが溢れていますし、繁華街もあります。
  そういう光景を見て、「京都らしくない」と言い放ち、伝統的な街並を保存すべきだと主張する人もいます。しかし、果たして現代の京都は、本当に彼らの想像する「京都らしい」街であるべきなのでしょうか。私はむしろ、彼らの主張はアナクロニズムであり、かつ無責任なものであると思うのです。


八千代館   京都に住む人々は、歴史博物館のショーケースに入っているのではなく、現代において実際に生活しています。コンビニがある便利な現代の生活を享受する権利があるはずですし、また、パチンコにハマり込む人や風俗店でハメを外したい人がいてもおかしくありません。街並もそれを反映して、現代の京都に相応しい姿を見せるのは自然なことなのではないでしょうか。「京都らしい」古い街並も「京都らしくない」街並も、そのどちらもが京都の街であり、それらが渾然となった様こそ現代の京都の姿であるはずです。


  歴史的遺産は一度失われると元には戻せないから大切にすべきだという意見もあるでしょう。一面ではもっともな意見だと思います。現代において歴史的遺産の取捨選択を慎重にするという意味では必要な観点でしょう。しかし、現代的視点を忘れてあらゆる古いものを尊ぶことは、現代に生きる意義を忘れた懐古趣味かアナクロニズムに過ぎません。
阪急河原町駅(地下道)   京都の市街地を掘り返せば、遺跡がゴロゴロと出てきます。それゆえに、かつて地下鉄工事に反対する声もあったそうです。京都はただでさえ旧市街で細い路地が多くて交通事情が良くないのに、遺跡の存在ゆえに京都では地下鉄網の便益を絶対に受けてはならないというのは、京都に住む人に骨董品か歴史博物館の人形であることを強いるようなものではないでしょうか。
  ときに、歴史的意義のあるものを残すことと現代の京都の人の便益を満たす街づくりをすることは、背反することがあるでしょう。むしろ、激しく衝突するのが常態であるかもしれません。だからといって、衝突を緩和すべく、これらを無理やり「調和」させたところで、とんでもない不恰好なモニュメントができるだけです。これは、京都や奈良の有名寺院の近くにある変な記念撮影スポットや土産物屋でも見れば明らかなことだと思います。こんなものは現代の京都の中でもキワモノに過ぎません。


四条河原町   千年の都・京都と、先進国日本の主要都市の一つとしての京都。そこには、観光客の無責任な旅情でない、そこに住む人による二つの京都の衝突があります。そして、新旧の街が雑然と入り交ざった街並は、二つの京都の衝突を映す現代の京都の等身大の姿であると私は思います。
  この雑然とした京都の姿こそニセモノでない等身大の現代京都の街並なのですから、古い寺院のみを切り抜いて京都を考えるのはとんでもない片手落ちであるといえます。雑然としたこの街並が物見遊山の観光客を満足させるかどうかはともかくとして、われわれはまず、この街をあるがままに受け止めるべきなのです。その認識の先でようやく、現代に京都が抱える問題に対面し、京都という街を知り、次の時代の京都を考えることができるのだと、私は考えます。


22/8/2004




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