2007年11月6日
銭湯の 壁の穴から チンコ出す (詠み人知らず)
2007年11月
2007年11月6日
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2007年11月11日
つい先日、司法修習に入るに当たっての意気込みについて問われることがあった(*1)。これに対し、私は答えに窮してしまった。同期のM氏も同様であったらしく、この問いに対して、意気込みは特にないと答えていたようである。 ただ、修習中の日々の生活の中、個々の場面において意気込むことは多々あると思う。民裁起案に際しては主張整理や事実認定を緻密に検討しようと意気込むし、裁判所地下食堂の定食が大変美味しいので(*2)昼休みには近辺のうまい定食屋探しに意気込むし、N指導官の就職活動に関する配慮に満ちた問いかけに対して笑顔で受け答えすることにも意気込むものである。しかし、よく考えてみると、司法修習そのものに対する意気込みといったものはない。それもそのはず、司法試験合格後に司法修習が行われるものの、司法試験受験生は法曹資格を得るために司法試験を受験したのであって、決して司法修習を受けること自体を目的としていたわけではないのである。 従って、司法修習に意気込む人というのは、修習生の社会集団の中で異質な浮き方をしてしまいかねない。さらには、意気込みが過ぎて、「修習デビュー」(*3)として修習生の酒席の話題として俎上に載せられるという惨状すら考えられるのである。とはいえ、周囲には修習生が何か意気込みを持っていることを期待している方々も多く、司法修習に対して意気消沈しているわけにもいかない。 それゆえ、正しい司法修習の意気込み方とは、一見論理矛盾のようであるが、意気込み過ぎないことである。そして、意気込みを表明しなければならない緊急時には、抽象的な表現等を用いつつ、恰も司法修習というものに意気込みがあるかのように聞き手を籠絡することに意気込むことも、正しい司法修習の意気込み方の一態様であろう。 ちなみに私は本心から、実務修習にて多くのことを習得すべく大変意気込んでいる次第であることを、ここに申し添えておきます。 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
(*1) 11月9日午後5時ころから行われた当所属部での新修習生との懇親会の席上。 |
2007年11月21日
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