2007年6月



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   2007年6月9日   


 (今日のVARY)
  今日は6月9日だな。


 

   2007年6月19日   


  京都に帰って来て、久しぶりにごきげんブランニュを見た。別に、懐かしくはない。


 

   2007年6月28日   


弁護修習1日目のあり方について

 

  「弁護修習に必要な物は、六法と積極性だ」

  そんな精神論を聞いたことはあるが、僕はそういった精神論や抽象論をここで説くつもりはない。しかし、民裁・刑裁・検察・弁護の4つの実務修習の中で、弁護修習は他の修習に比較して大きく異なることが多く、初日の過ごし方に気をつけた方が良いというのは事実だろう。

  弁護修習は他の修習と異なり、一人で受け入れ先事務所に行くことになる。それゆえ、他の修習の場合には受け入れ先機関の人の目が何人かの修習生に分散するところ、弁護修習では受け入れ先の事務所の人の目はその修習生一人に対して集中するのである。そんな中で3ヶ月を過ごさねばならないので、弁護修習初日の印象は、その後の3ヶ月をどう過ごすかを決定付ける極めて重要なものであるといえる。そこで、初日はきちんと挨拶をして、礼を尽くし、修習に積極的に取り組むことを見せるべきだと言われるのであろう。

  しかし、一般的に修習生という生き物はキモいものなので、どれほどに繕ったところで身から滲み出るキモさを抑えることは到底不可能なのである。たとえ初日は何とか繕い切ったとして、3ヶ月間もの長きに渡り、身から染み出すキモさを隠匿して過ごすことなどできるはずがない。

  かく言う僕も、プリキュア(*1)を見ていないにも拘らずキモい(*2)という最上級にキモい人種であるから、初日に挨拶に事務所に行き、「シ、シュ、シホウシュウシュウシェイの VARY と申しましゅ」という感じの挨拶をして、のっけから意図せずしてキモさをアピールして事務所の方々の怪訝な視線を浴びるわけである。

  つまり、弁護修習1日目は、自分がいかにキモい人間であるかを気付かせてくれる絶好の機会だと言えるのである。初日は何とか自らのキモさを隠蔽することに腐心するにせよ、ありのままのキモさをアピールするにせよ、弁護修習1日目は自分の身から染み出す空気感を自覚させてくれる絶好の機会であり、このことに自覚的であることが弁護修習1日目の正しい過ごし方であると、私はここに断言する(*3)。


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(*1) 小学生以下の女子と中学生以上の一部男子を対象としたTVアニメ。10年前における「セーラームーン」の位置づけに近いものと考えて差し支えないと思われる。

(*2) 世間的には「プリキュアを見ているからキモい」と思われがちだが、実はそうではない。プリキュアを見ている人がキモいと評価される現代社会において、プリキュアを見ないにも拘らずキモいと評価される人間は、プリキュアという要素を加えない生の人間的評価でキモいとされるものであるので、プリキュアを見ていてキモい人間に比較してもかなり致命的であるといえる。ただし、プリキュアを見なくてもキモい人がさらにプリキュアを見ていたらどうなるのかという疑問に対する回答はとりあえず留保しておくこととする。

(*3) 弁護科目においては、「〜という証拠から、〜と認定できる」といった事実認定による書き方ではなく、断定的に書き切ることが重要と言われており、とくに根拠はないが、ここでは私もそれに倣うこととした。


 

   2007年6月29日   


  無事に週末を迎えられた。

  でも月曜になったらまた大阪に行くのが面倒なので、週末の間押入れで寝ていたらドラえもんが何とかしてくれるのではないかと思う。


 

   2007年6月30日   


伏見桃山大手筋商店街 その1

 

  1996年の夏、僕は同時に二つのものを手に入れた。一つは選挙権、そしてもう一つは『ヤラハタ』という称号である。

  僕は中学校から私立の男子校に通い、精神発達において極めて重要な時期に6年間も女性から隔絶されていた。そんな僕も大学に合格し、大学デビュー…と行きたいところではあるが、6年間における男子校生活による人格の屈曲は経験したことのない人の想像を絶するほど甚大なものである。大学初年度など、僕は女性の目を見て話せないばかりか、全く意識していない女性と話していても無意味に赤面していたものである。

  それゆえ僕は大学に入ったからと言って彼女などできるはずもなく、とうとう彼女の一人もできぬまま二十歳の誕生日を迎えた。二十歳の童貞というものは、ヘボヘボな行動を取りがちではあるが、実は現代の日本社会において3番目ぐらいに高貴な精神を有する人種であることは詳細な説明を俟たずとも理解して頂けるところであると思う。ちなみに、それより高貴な精神を涵養する人種とは、三十代童貞と四十代童貞であることも説明の不要なところであると思うので、そのあたりの問題はここでは取り上げない。

  そんな二十歳童貞になる数日前、僕は高校時代の友人たちと自転車で福井県まで行くことを企て、見事に約400キロの行程を走破したのである。このように意味のない行動に没頭するという行為は童貞として極めて正しい行動であり、そのことは27歳の頃のヨゴレた僕が童貞少年のマネをして自転車で琵琶湖一周旅行をして死にかけたことからも明白であろう。

  チャリ福井県制覇という偉業を達成した僕が次に目をつけたのが、これまた福井県制覇の偉業をともに達成した大野(仮名)とレストランでバイトをするというとてつもない試錬であった。レストランでのバイトのどこが試錬かという疑問もあろうかと思うが、男子校→理系学部というコミュニケーション能力欠缺のスーパーエリートコースを歩んだ男たちにとって、ひたすらカウンターを打ち続ける交通量調査のバイトならいざ知らず、レストランでのバイトというものはチャリ福井県制覇にも引けを取らない物凄い荒行なのである。とりあえず大野とバイト雑誌を見て飲食店のスタッフ募集を探し、あるベーカリーレストランのオープニングスタッフの募集に応募することにした。

  こんな暴挙に出たところ、事態はさらに深刻な方向に動き出すこととなる。レストランバイトの面接の日、僕は徹夜明けで妙にテンションが上がった状態で、大野とともに伏見の大手筋から少し離れた新堀川通り沿いにあるレストランに向かった。後日大野に聞いたところでは、僕はどうやら面接の場で、僕としては普段では到底あり得ないハキハキした受け答えをしていたらしい。そんなこともあってか、大野はベーカリースタッフで、僕はホールスタッフで採用されることになってしまった。僕をホールスタッフで採用するとの電話を受けたとき、このレストランは間違いなく潰れるだろうと思ったのだが、どういうわけか今もこのレストランは営業している。

  そんなわけで、極めて高尚な精神を持ち、それとともに社会性の欠片も持たない二十歳童貞の僕は、大学二回生の秋から女性がほとんどのレストランのホールに放り込まれることとなったのである。それから様々などうしようもなくヒドい状況を乗り越えて、半年後のいわゆる『オコジョ事件』に至る長い軌跡を辿るわけだが、こんなどうしようもなくくだらない話をここで書くべきかどうか、迷っているところである。





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