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   2007年4月1日   


  夏は、暑い。

  雨の中を歩くと、服がぬれる。

  カメラのフラッシュの光を見ると、眩しい。

  寒い日にストーブに当たると、暖かい。

  高熱が出ると、しんどい。

  鉄アレイは、重い。

  アイスコーヒーは、冷たい。

  コーヒーにミルクを入れると、色が変わる。

  突き指すると、痛い。

  風が吹いても、桶屋は大して儲からない。



  今日は、4月1日だ。

  今日は日曜日で、明日は月曜日だ。


 

   2007年4月8日   


 (今日のゲルベス)
  金八先生は「このバカチンが!」と言って怒るが,女子生徒相手だと「このバカマンが!」と言って怒るのだろうか。

VARY コメント
  「バカマン」という言葉はないけど、「ガバマン」という言葉ならあると思う。


 

   2007年4月8日-2  


 (今日のS農)
  件名 : ポイズン
  本文 : なんか今テレビをつけたら「男勃ちの大和」がやっていて、
      反町らが熱いイキざまを見せています。

VARY コメント
  今日は変なメールがよく届く日だな。


 

   2007年4月21日  


  僕もついに泡沫公務員的なものになり、ニートでなくなった。そういうわけで、僕ももう大人として振舞わなければならず、教官が熱く語る「刑弁スピリット」といういじり甲斐のある言葉についても、これをネタにしてはいけないという雰囲気を察することが出来るわけである。

  それはそうと、最近街で選挙カーやポスターをよく見かける。統一地方選真っ盛りだ。しかし僕は今、実家から離れて寮生活をしているため、ここの選挙権はない。とはいえ、僕はこの街に住民票こそないものの、この街で買い物をしたりしているわけで、この街のあり方に全く関心がないわけではない。

  それゆえ、住民票はなくとも、ある程度利害関係のある僕らにも選挙権があってもいいのではないかと、そんなことを思う。もし選挙権があれば、誰に投票しようか。いつも名前ばかり連呼してるあの人か、駅前でひたすら「やります!」と叫んでいるけど何をやるのかよくわからないあの人か、平仮名三文字で「×××」をよろしくお願いしますと有権者をバカにしているかのようなあの人か、どれも魅力的だ。

  そんなことを考えていると、住民票もなく、この街に2ヶ月しか住まない僕に選挙権を与えないのもわりと真っ当な判断であるように思えてきた。そして、住民によって横山ノックを大阪府知事に当選させた当時の大阪府民はかなりいい線行ってると思う。

 

  初っ端から公務員として微妙なゾーンを突いてみた。これくらいならギリギリセーフということでいいですかね。


 

   2007年4月30日  


  エイプリルフールに敢えてウソをつかず、しかも何の捻りもないことを淡々と書くというのが4月1日の日記の趣旨でした。このひねりのなさが逆に面白いと感じる人がいるかとも思ったのですが、ビックリするぐらいの全くの無反応でした。僕はこの無反応っぷりがさらに面白いと感じるわけですが、そこのところはますます伝わりそうにありませんね。

  ところで、僕の近況についてですが、山のようにある課題にほとんど手がついていなくて、起案も勉強もかなりできていなくて、部屋の片付けすら全然出来ていなくて、顔面・人格ともにどうしようもなくて、本当にヤバイわけです。まあ、最後のやつは特段の対処をするつもりはないのですが、そういうわけで本来であれば今は日記なんか書いている場合ではありません。ただ、いい加減に修習をやってしまいそうな自分を戒めるためにも、たまには真面目な日記を書いてみようと思います。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

  今日、ある研究所の研究員をやっている友人から、メシでも食おうとメールが入りました。そのときふと、僕が理学部に在籍していて、その最後の年にはある研究室で朝から晩まで実験をし、マニアックな研究に明け暮れていたことを思い出しました。そんな僕がどうして法曹の道に進むことを考えるようになったのでしょうか。当時の友人からのメールを受け、ふと記憶の糸を手繰ってみることにしました。

  僕は大学に入った頃、僕が法曹を志すことになるとは夢にも思っていませんでした。大学入学当時、僕がなりたいと思っていたのは科学者でした。でも僕はあまり熱心に勉強しませんでした。友人たちとわけのわからない貧乏旅行をしたり、バイトで同年代の友人とかオートレーサーを引退した自営業のおっちゃん、女手一つで娘さんを育てているパートのおばちゃんなどと飲み歩いたりしていました。モラトリアムのぬるま湯にどっぷり浸かり切った2回生の終わりに失恋をし、さらに飲み歩きまくってグダグダになりながらも、要領よく最低限の単位だけを揃えて3回生に進級しました。

  理系の学部は総じて、3回生くらいから忙しくなることが多いのですが、僕の場合もそうで、週4日のペースで実験をする生活になりました。でも僕は3回生の初めの頃、バイトと飲み歩きに浸り切った上に失恋のショックを抱えて、実験もかなり適当にしていました。そして5月のある日、絶対に遅刻してはいけない実験の日に思いっきり昼過ぎまで寝てしまい、大遅刻をしてしまうという失態を犯してしまいました。

  しかしこのことから、僕はこのままでは本当にヤバイと気付くことができました。それからようやく少しは勉強するようになって、何とか理学部生の最低限レベルをキープすることができ、4回生の研究室配属も無事に済ませることができ、夏の終わりに受けた院試に合格することができました。

  この院試の合格発表の日、掲示板に「131」と、確かに自分の番号を発見したのですが、あまりうれしい気分になりませんでした。飲み歩いている時期に知り合った、日々の生活の窮状の中にあっても笑顔でいたおっちゃん何かを思い出したりしつつ、僕は本当にこの研究を続けるべきなのか、もっと人の役に立つことがあるのではないか、そんなことを漠然と考えるようになっていました。今思えば、自分の能力も知らずに人の役に立つなど、極めて浅はかな考えだと思いますが、当時はそんなことを考えていました。そんなことをずっと考えた挙句、院試の合格発表から2ヵ月後の11月、僕は法学部への転部を決断しました。とはいえ、僕は研究室に在籍する以上はきちんと研究をすべきと考え、日曜日を除いて朝から晩まで実験に明け暮れ、課題研究を終えて法学部に移りました。

  では法学部に移ったあと、勉強をしっかりしたかというと、これが僕の浅はかなところでした。実験に明け暮れていて、漠然と法曹になれば人の役に立てると考えているあたりでもう既に甘いのですが、それ以上に、司法試験のために何をすればいいのか全然わかっていませんでした。まず、司法試験の勉強のためにどうやら予備校に行かなければならないけどかなりお金が掛かるらしい。法学部の授業はあまり司法試験に役に立つ代物ではないけど、元来理系人間の僕には取っ付き難くて単位も容易には取れそうにない。そんなことが法学部に移って数ヶ月のうちに徐々にわかって来ました。

  そこで、僕の家は食う分にまで逼迫しているわけではないもののさして裕福な家庭でもないので、とにかくバイトをしまくってお金を稼ぐことにしました。そして法律相談部というサークルに入っていろいろ情報を集めることにしました。法律相談部では総務局長(部長)を引き受けてしまい、休日がないくらいにバイトを入れて、勉強などする状況にありませんでしたが、2年のうちにようやく予備校のためのお金を稼ぎ出すことができました。

  ようやく法学部に来て3年目に、司法試験予備校の講座を申し込みました。しかし僕は街から遠いところに住んでいるため、通学はあまりに時間が勿体無いと考え、在宅DVDの講座の申し込みをしました。その申し込みをしたあとすぐ、間の悪いことに母が体調を崩し、じきに入院することになってしまいました。僕はそれから病院に通い、慣れない家事をこなし、バイトをし、とてもゆっくりDVDを見て勉強なんて状況ではなくなってしまいました。

  いろんなことに忙殺され、不安も募る中、翌年の冬に母は亡くなりました。実力不相応にも拘らず京大理学部に出願することにしたときも、今思えばそれほど深い考えのない中で法学部への転部を決断したときも、母は特に何も言わずに見守っていてくれたけど、僕はその母に何も報いることができないまま母の死を送ることになってしまいました。

  法曹を志すことになるとは予想だにしていなかったのと同様、26歳で母の葬儀を取り仕切ることになるとは思いませんでした。母の葬儀を一通り取り仕切ったあと、何か気が抜けてしまい、ボーっと家事をしたりバイトをしつつ生活をしていました。この時期の自分は大学に籍を置いているものの、まさにニートと呼ぶに相応しい人種であったように思います。

  そんな生活の中、僕はこのままではいけないと漠然と感じるようになっていたものの、あまり生活は楽ではありませんでした。そこで、塾講師のバイトを本格的にやって生活の基礎を確保しつつ勉強をするか、バイトを極限まで減らして蓄えが尽きるまで司法試験に挑戦するか、二者択一を自分に課すことになりました。自分の年齢や生活なんかを考えると決して冒険できる状況ではないけれども、浅はかな考えだけど人の役に立ちたくて法学部に来たわけで、とにかく出来る所まで司法試験を目指してみよう。僕はこんなふうに考えて、初めて司法試験予備校の答案練習会(答練)に申し込みました。

  しかしこんな生活を送ってきた僕はこの当時、初学者同然でした。答案練習会で問われていることなんか全然わからなくて、受験のたびに心が折れそうになりました。また、元々文系でない僕は記憶する勉強がとても苦手でした。でも人の役に立てる仕事をしたいと考え、どんなにひどくても答練から逃げないことにしていると、必死に勉強した甲斐あったのか単なる運なのか、この年僕は3度目の司法試験受験で初めて、奇跡的に短答式試験に合格しました。

  短答式に合格したものの、僕はこれまで商法も訴訟法も勉強したことがありませんでした。そんな僕が論文式試験に受かるわけもなく、論文式試験は当然の撃沈。とはいえ、論文式試験の直前期にあがきまくったおかげで、商法や訴訟法の勉強も少しだけ進みました。相変わらず生活はギリギリだったし、時にはだらけることはあったけど、だらけ切ってしまう寸前で飽きっぽい自分を踏み留まらせ、人の役に立つ仕事がしたいしそれに向けて限界までやってみようと奮起しました。僕はあまりそういう頑張りを見せるのが好きではないのですが、そんな僕なりにそれなりに頑張ってようやく「司法試験」が「旧司法試験」という名に変わる頃、本当に運良く試験に合格したという次第でした。

 

  かなり長々と、取り留めもなく今に至る経緯を書いてきたけれども、今僕がここにいるのは、友人や家族のおかげだったり、あるいは驚異的な運の良さによるところも大きいでしょう。ただ、僕がここにいることができる原因をもし自分の中にも求めるとすれば、10年ほど前に遊び回ったり飲み歩いていたころから濃淡の差こそあれずっと継続している「人の役に立ちたい」というごくありきたりで単純な思いのおかげだと、僕は今思っています。決して褒められた経路をたどってここに辿り着いた訳ではないけど、この先僕が苦しいと思うことがあったとき、「人の役に立ちたい」と思ってここまで来たことを思い起こそうと思う。

 

  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

  まあ、ここまで長々と書いてきて、こんな長文を読んでいただいた後にこんなことを言うのは大変心苦しいのですが、一応言っておきましょう。実は、前回敢えてエイプリルフールにウソをつかなかったのは、次回日記にエイプリルフールを持ち越す伏線だったわけです。つまり、大変申し訳ないのですが、これ、4月ギリギリで時期遅れのエイプリルフール日記だったりしまして、もしここまでこれを信じて真面目に読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に何と申し上げていいものやら。





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